東京国立博物館 日本一広大な発見の宝庫
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東京国立博物館 日本一広大な発見の宝庫

上野の街は、多くの美術館や博物館があり、芸術と歴史にあふれた街です。その上野にある東京国立博物館もそのひとつだ。東博」の愛称で親しまれるこの博物館は、日本で最も古く、現在では11万点以上の展示品を所蔵しています。東京国立博物館では、常設展のほかにも、芸術や文化への関心を高めるための特別展やイベントを開催しています。東京国立博物館には、美術品や遺品だけでなく、日本庭園や茶室もあります。東京国立博物館は、日本の歴史と文化を深く知ることができる場所なのです。

東京国立博物館の歴史

明治時代

明治時代
明治時代

1872年3月10日、東京の湯島聖堂で日本政府初の博覧会が開催され、これが東京国立博物館の始まりとされています。この博覧会には、全国から600点を超える皇室関係の文物、標本、剥製が集められました。当時としては斬新なガラスケースに展示され、15万人近くが来場した。この博覧会の半年後、この地に東京国立博物館の前身となる「小学館」が設立された。全国の歴史的文献を一堂に集めた公的機関として建設されたのである。

1857年に浅草から内山下町(現千代田区)に移転したのは、別の博物館の建設が進んでいたためである。古代の器物や剥製、外国の美術品などを展示し、1881年に閉館するまで繁栄した。

1877年から1903年まで、5年ごとに開催された内国勧業博覧会。この博覧会は、古美術品だけでなく、当時の日本の産業の隆盛や西洋の先進的な技術にも目を向けようというものでした。

この博覧会の開催地として選ばれたのが、上野金次公園(現在の上野公園)である。後に東京国立博物館の初代館長となる町田久成は、これを日本初の博物館の構想に着手する絶好の機会と捉えていた。動物園や図書館を併設した大規模な博物館は、1882年に実現し、明治天皇も開館式に出席された。その後、博物館は皇室に引き継がれ、帝国博物館()と改称され、大正天皇のご成婚を記念して表慶館()が設けられた。

大正時代

大正時代
大正時代

1923年(大正12年)、関東大震災が発生し、表慶館を除くほとんどの建物が使用不能になった。幸い遺品に大きな損傷はなく、翌年には表慶館を展示館として帝国博物館が再開された。

この表慶館での展示は、博物館本館が全面的に改築されるまで続けられた。1915年、動物、植物、鉱物の標本は「東京博物館」(現在の国立科学博物館)に寄贈された。

昭和の時代から現在まで

昭和
昭和

1938年(昭和13年)、帝国博物館はようやく再建され、日本やアジアの美術品を新たに展示し、再開された。帝国博物館は歴史と美術の博物館として生まれ変わり、震災前の魅力を取り戻した。第二次世界大戦が進むにつれ、展示品の多くは奈良帝室博物館など全国の帝室博物館に移され、帝国博物館は一時閉館となった。戦後は国有財産となり、東京国立博物館と改称された。
1999年には、平成天皇のご成婚を記念して、新館「平成館」()が建設された。毎年200万人以上の来館者がある東京国立博物館は、絶え間ない改良と進歩により、日本を代表する博物館となった。

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